多くの営業研修は、シンプルな場面を前提にしています。相手は一人、商談は一回、決めるのも一回。ニーズを聞き出し、提案し、懸念に答え、最後にクロージングする。取引型の商談ではこのやり方がよく機能しますし、多くの営業担当者が最初に学ぶのもこの型です。
ところが、あるとき別の種類の案件を任されます。初回訪問から契約まで9〜18か月。4つも5つもの部門が関わり、製品を一番気に入ってくれている担当者には決裁権がなく、決裁権を持つ人はなかなか打ち合わせに出てこない。毎回の商談は手応えがあるのに、案件はいっこうに進まない。
これが複雑なBtoB営業の実態です。よく「案件が大きいから」「顧客の動きが遅いから」と説明されますが、どちらも正確ではありません。複雑な商談は、営業が前に進めようとしたときに進むのではありません。顧客の組織の中で、まだ営業に伝えられていない条件が一つずつクリアされたときに進むのです。
この記事では、BtoBの商談を複雑にしている本当の要因を整理し、自分の案件を診断するための4つの軸を示したうえで、いまの状況に合わせて次に読むべき記事をご案内します。
商談を複雑にしているのは、金額ではない
複雑なBtoB営業とは、購買の判断が顧客社内の複数の部門それぞれの条件に左右され、長い期間を要し、しかも一度決めたら元に戻しにくい営業のことです。金額が大きいほど複雑になりやすいのは確かですが、金額そのものが定義ではありません。
予算の決裁者が一人で、契約条件もすでに固まっている大型の更新契約なら、二回の打ち合わせでまとまることもあります。逆に、金額はそれほど大きくないシステムでも、情報システム部門のセキュリティ審査、利用部門、経理・財務、法務が絡めば、一年かかることもあります。複雑なのは後者です。たとえ金額が小さくてもです。
つまり、複雑さは契約金額やSFA上のフェーズからは判断できません。見るべきなのは、その意思決定をめぐって顧客の組織がどう役割を分担しているかです。
意思決定に関わる人たちは、購買委員会や意思決定ユニット(DMU)と呼ばれることがあります。しかし実際の複雑な案件では、正式な委員会として動いていることはまれです。それぞれ独立した部門が、独自の懸念、スケジュール、そして拒否権を持っており、同じ会議室に集まることすらないかもしれません。
商談の複雑さを測る4つの軸
複雑さは一本の目盛りではなく、互いに独立した4つの軸で捉えられます。ある案件は1つの軸だけが高く、残りの3つはシンプルということもあります。どの軸が高いかによって、次に力を注ぐべき場所が変わります。
| 軸 | 問うべきこと | 低い場合 | 高い場合 |
|---|---|---|---|
| 意思決定ユニット | この案件を止められる部門はいくつあるか | 予算の決裁者が一人で決める | 利用部門、情報システム、経理・財務、購買、法務がそれぞれ拒否権を持つ |
| サイクルの長さ | 初回訪問から契約までどのくらいかかるか | 数週間 | 9〜18か月。年度予算に連動することが多い |
| 社内の依存関係 | ある部門の承認が、別の部門の判断を待っているか | 各部門が並行して検討する | 情報システムは利用部門の要件確定待ち、経理は情報システム待ち |
| 可逆性 | 一度決めたら、どれだけ元に戻しにくいか | 月額契約で、いつでも解約できる | 設備投資、複数年契約、従業員の再教育を伴う |
意思決定ユニット:誰が案件を止められるか
数えるべきなのは「会ったことのある人」ではなく、「ノーと言える部門」です。熱心な窓口担当者が一人いて、その背後に何も言わない部門が4つある。この軸で見れば、それは高い案件です。本当のリスクは断られることではなく、存在に気づいていなかった部門が終盤になって条件を持ち出してくることです。複数の部門と同時に向き合いながら、それぞれの進捗を把握する方法は複雑なBtoB営業で複数のステークホルダーをマネジメントする方法で、各部門で誰が本当に影響力を持っているかを見極める方法は営業のステークホルダーマッピングで解説しています。
サイクルの長さ:組織にどれだけ時間が必要か
商談が長期化するのは、たいてい顧客側のカレンダーのせいであって、迷っているからではありません。年度予算、会議体の開催日程、設備投資の計画サイクルがペースを決めています。長期化そのものは対処できます。本当に危ないのは、案件が動いている間に担当者が異動し、優先順位が入れ替わり、予算が見直されることです。
社内の依存関係:何が先に起きなければならないか
ある部門の判断を待たないと動けない部門があります。予算が承認されなければ購買は発注できず、利用部門が業務フローを確定させなければ情報システムは連携の検討に入れません。依存関係が強い案件では、一つの部門で止まると後ろに続く部門もすべて止まります。しかも止まっている部門は、たいていその理由を営業に伝えてくれません。
可逆性:判断を誤ったときの顧客の代償
元に戻しにくい判断ほど、各部門が求める根拠は増え、意見を言いたい人も増えます。取り消しの難しい判断には、法務、コンプライアンス、経理・財務といったリスクを管理する立場の人が加わってきますが、彼らは評価の段階には関わっていなかった人たちです。まとまったと思っていた案件に、突然新しい承認者が現れる理由はここにあります。
取引型の営業スタイルが、複雑な案件で通用しない理由
取引型のやり方が間違っているわけではありません。ただ、それは「自分で決められる顧客」を前提に作られています。複雑な案件では、目の前の相手はたいてい一人では決められません。そのため、身についた習慣の一つひとつが、予測できる形で空回りします。
| 取引型の習慣 | 前提にしていること | 複雑な案件で実際に起きること |
|---|---|---|
| クロージングをかける | 窓口担当者が約束できる | 担当者は前向きでも、その後、営業が会ったことのない部門を説得しなければならない |
| 商談の場で懸念に答える | 懸念は面と向かって伝えられる | 決定的な懸念は、営業が帰った後に社内で出てくる |
| 訪問回数で進捗を測る | 接点が多いほど案件は進む | 訪問は多いのに、止めている部門には一度も触れていない |
| SFAのフェーズを進める | フェーズは顧客の状況を表している | フェーズは営業の行動の記録であって、どの部門が承認したかではない |
| 緊急性をつくる | スケジュールは顧客が決める | スケジュールを決めるのは年度予算と会議体の日程 |
根っこにある問題は同じです。取引型の営業は、顧客を「一人の人間」として扱っています。複雑な案件は、実際には顧客の組織の中で進む社内調整であり、営業はその大半を会議室の外で過ごすことになります。仕事の中心は「一人を説得すること」から、「それぞれの部門にまだ何が足りないのかを突き止め、社内の推進者がそれを揃えられるよう支えること」へと移ります。
複雑な商談の進み方:見るべきはフェーズではなく条件
複雑な案件は、各意思決定ユニットが自分たちの条件をクリアするたびに、一歩前へ進みます。進捗とは次の訪問でも、SFA上の次のフェーズでもありません。案件を止められたはずの部門が、もう止めないと判断したその瞬間のことです。
こうした条件の多くは、はっきりとは語られません。顧客が意図的に隠しているわけではなく、各部門が自分たちの要件を当然のものと考えていたり、案件が自部門に回ってくるまで自分たちでも把握していなかったりするからです。条件はおおむね次の5つに分けられます。
- 根拠の条件:社内で説明できる材料が必要。導入効果のデータ、導入事例、トライアルの結果など。
- 予算の条件:正しい予算科目に、正しい会計期間で、正しい決裁レベルまで予算が確保されていること。
- プロセスの条件:稟議、入札、セキュリティ評価、会議体での審議など、購買が必ず通過しなければならない手続き。
- リスクの条件:契約条件、コンプライアンス確認、解約条項など、元に戻しにくい判断を受け入れられるものにする要素。
- 優先順位の条件:組織が取り組みたい他の施策と予算を奪い合えるだけの重要度を、この購買が保ち続けていること。
「条件」で案件を読み直す
以下は仮想のシナリオです。 ある営業担当者が、中堅の電子部品メーカーに自動光学検査(AOI)装置を提案しています。製造部長はデモを見て乗り気になりましたが、SFA上のフェーズは「見積提出済み」のまま3か月が経っています。
フェーズで見れば、この案件は止まっています。条件で見ると、進んでいる部分と進んでいない部分があることがわかります。
- 製造部長が求めていた根拠は、すでに満たされている。
- 情報システム部門は、装置を工場のネットワークにつなげられるかをまだ確認しておらず、そもそも誰も彼らに聞いていない。
- 経理は、来年度の設備投資予算の編成まで、この予算を確保しない。
- 購買は相見積もりを必須としているが、手元にあるのはこの1社の見積もりだけ。
この4つの条件は、どれも商談の場で明言されたことはありません。しかし、どれも調べればわかることで、それぞれが異なる次のアクションを指し示しています。これが、複雑な案件をフェーズで管理することと、条件で管理することの実務上の違いです。
自分の案件の複雑さを読み解く方法
進行中の案件を4つの軸それぞれで評価し、点数の高い軸に時間を振り向けます。ある軸が特に高い案件に必要なのは、その軸に集中して手を打つことであって、あらゆる方面に均等に力を注ぐことではありません。
| この軸が高いなら | 主なリスク | 次にやること |
|---|---|---|
| 意思決定ユニット | 把握していなかった部門が終盤に条件を出してくる | ノーと言える部門とその代表者をすべて書き出し、社内の推進者にリストを確認してもらう。 |
| サイクルの長さ | 案件の途中で担当者、予算、優先順位が変わる | 誰がいつ何を言ったかを記録し、数か月後も経緯がたどれるようにする。四半期ごとに各人の役割を確認し直す。 |
| 社内の依存関係 | 一部門の停滞で、他の部門も黙って止まる | どの承認がどの承認の前提になっているか、順番を把握する。一番声の大きい部門ではなく、最初に詰まっている箇所から手をつける。 |
| 可逆性 | 終盤になって新たなリスク管理側の承認者が現れる | 契約、コンプライアンス、解約条件を誰が承認するのかを早めに確認し、聞かれる前に根拠資料を用意しておく。 |
どの軸にも使える問いが二つあります。一つ目は、いまこの案件を止められる部門はどこで、その部門は何があれば止めずにいてくれるのか。二つ目は、その条件は顧客側の誰かが本当に確認したものなのか、それとも自分の思い込みなのか。
一つ目の問いに答えられないなら、その案件の複雑さはまだあなたに見えていないということです。長期化する商談では最もよくある状態であり、次の訪問の前に最も優先して手を打つべきポイントでもあります。
状況に合わせて、次に読みたい記事
この記事では全体の枠組みを示しました。以下の記事では、その一部をさらに掘り下げています。いまの状況に一番近いものを選んでください。
| いまの状況 | 次に読む記事 |
|---|---|
| 一つの案件で複数の部門と向き合っていて、それぞれの進捗が見えていない | 複雑なBtoB営業で複数のステークホルダーをマネジメントする方法 |
| 関わる部門はわかっているが、各部門で誰が影響力を持っているかわからない | 営業のステークホルダーマッピング:案件を本当に動かしているのは誰か |
| 各意思決定ユニットがどんな関門を通るのかを整理したい | エンタープライズ営業で意思決定ユニットを追跡する方法 |
| 医療機器や設備を病院に販売している | 病院は医療機器を実際にどう購入しているのか |
| 臨床側は賛成しているのに、案件が購買部門で止まっている | 病院の購買プロセス:臨床の承認はゴールではない |
複数部門にまたがる案件を、何か月たっても見失わないために
複雑な案件で難しいのは、この枠組みを理解することではありません。一年に及ぶ打ち合わせ、担当者の交代、さまざまな変化の中で、それを常に最新の状態に保ち続けることです。ところが多くのパイプライン管理ツールには、「フェーズ」の項目しかありません。
VINEQRA は、この課題のために設計された iOS アプリです。一つの案件を顧客社内の意思決定ユニットごとに分けて、それぞれにステータスを持たせ、各ユニットがいまの状態に至るまでのやり取りの記録を残します。あるユニットで進展が見られないときは、プロセスが止まっていると考えられる箇所を示し、そのボトルネックに応じた次のアクションを提案します。提案はあくまで出発点です。顧客を一番よく知っているのはあなたであり、最終的に判断するのもあなたです。
よくある質問
複雑なBtoB営業とは何ですか?
購買の判断が顧客社内の複数の部門それぞれの条件に左右され、通常は数か月以上かかり、一度決めると元に戻しにくいBtoB営業のことです。判断基準は顧客の意思決定の構造であり、案件の金額ではありません。
BtoB営業のリードタイムはどのくらいですか?
業界や購買の種類によって大きく異なります。複雑な案件では数か月から一年以上かかることも珍しくありません。営業側のスケジュールではなく、顧客の年度予算や稟議・承認の流れに沿って進むためです。
複雑な営業と取引型の営業は何が違いますか?
取引型の営業では、商談相手がその場で判断できることがほとんどです。複雑な営業では、相手が一人では決められません。承認が、営業が会えるとは限らない複数の部門に分かれているため、案件が進むかどうかは顧客社内で条件が一つずつクリアされるかどうかにかかっています。
顧客が前向きなのに、なぜ案件が止まるのですか?
前向きなのはたいてい一つの部門で、案件を止めているのは別の部門だからです。予算、情報システム、購買、法務のどこかで条件が満たされていなければ、窓口担当者がずっと好意的でも案件は止まります。
金額の大きい案件ほど複雑なのですか?
必ずしもそうではありません。決裁者が一人で、解約も容易な大型購買はシンプルなことがあります。一方、金額は小さくても、複数の部門が関わり、元に戻しにくい購買は非常に複雑になり得ます。